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相馬市原釜へ

継承米.com 運営会社(有)会津食のルネッサンスでは、
普段より、「相馬双葉漁業協同組合相馬原釜支所」さんに大変お世話になっております。
この度の震災で相馬市は壊滅的な被害を受けました。
私達に出来ることはなにか・・・
支援物資をトラックに積み、
継承米スタッフは相馬市原釜へ向かいました。

以下、実際に出かけたスタッフのレポートそのままを掲載します。
皆さんは何を感じ、何をおもいますか?
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4月2日AM9:30
救援物資を相馬に届けることと状況把握を目的に、
義援米、水、野菜、果物、レトルト食品、日用品等の救援物資を2tトラックに積み込み、
野口、飯村、三菱地所井上氏3名で会津を出発。
東北自動車道を北上し、宮城県との県境に位置する国見インターで高速を降り、県道を通って相馬へ入る。
高速道路は、地震の影響により応急処置が施されているところが数箇所見受けられたのと、
所々段差が生じているところがあったが、特に大きな障害や問題は無かった。
また、走行車は、トラックと普通車が半々で、渋滞はしていないが、
通行量は多く、途中のガソリンスタンドは何処も混雑していた。
国見インターを降りて県道に入るとすぐに、数件の屋根の瓦が崩れているのが目に入り、
よく見ると家が傾いていたり、壁や外壁が崩れ半壊している家が多くあった。
ここから先はこういう被害の光景をずっと目にしながら走行することになると心するが、
その地域を過ぎると目に見える被害はなく、暫く山間ののどかな風景が続く。
会津を出発して2時間30分が経ち、そろそろ相馬に着く頃になると、
突然道路の路肩に不自然な形で放置されている車が見えてくると同時に、
瓦礫の山が見え瓦礫を積んだトラックが出入りしており、そこには瓦礫の集積所が設けられていた。
道路には土が積もっており、中央分離帯に植えられた丈の短い木々は一定方向に傾いており、ここまで津波が押し寄せ海水に浸ったことが確認できる。
海岸沿い手前のここでさえ、大きなブルドーザーが腹を上に向け転がっている。
まるでおもちゃ箱からこぼれたミニカーのようである。
海岸沿いに出ると、
松林の間に引っかかっているタンクローリーやトラック、
波の緩衝材として浅瀬に置かれているテトラポットがあちこちに雑然と転がっている。
不自然に積まれた、車、木にぶら下がって風に揺れる無数のちぎれたブルーシート、
温度のない、時間が止まった風景である。
タンクローリーが引っかかっている松林の向こうには、
かつて住宅があったと思われる広大な瓦礫ばかりの地帯が広がっている。
色とりどりの瓦礫はまるで万華鏡のようである。

行方不明者の捜索なのか、瓦礫の撤去作業なのか、
広い瓦礫のなかにやはりミニカーにしか見えない重機が3台、瓦礫を取り除く作業をしていた。
自衛隊の車があちこちにあり、迷彩服を着た自衛隊員が作業をしている。
そして、自衛隊の車数台と赤色灯をつけた消防車、数人の消防隊員と自衛隊員が集まっている。
素人目から見ても、捜索遺体を発見したであろうことが分かる。
海岸を背にして、目的地の相馬原釜漁協の渡邉氏宅を目指す。
津波の被害が直接及んでいない地域を走行中、突然大きな漁船が道路の路肩に出現、目を疑う。
入江なのか、海に注ぐ川なのかそこから打ち上げられたようだ。

PM12:45
相馬原釜漁協の仮事務所が置かれている、相馬市コミュニティーセンターに到着。
渡邉氏、荒川氏が出迎え。
早速救援物資の荷下し、10名程の男性の手により10分もかからず終了。


避難者のいる同センターで挨拶、被災時及び現状の聞き取り。(内容は最後に記載)
その後、かつての漁協を案内された。
漁協に向かう途中目にしたものは、道路に漁船、入江の中には、家と車が浮いている不思議な光景。
渡邉氏によると自衛隊が入り道路の瓦礫や津波によって運ばれたものが片付けられ、
やっと車で移動できるようになったとのこと。
家中泥だらけで後片付けをしている家。
基礎しか残っていない家の跡。
その後の家は被害の痕跡もなく洗濯物が干され普通に生活が営まれている。
数十センチの高さの違いで被害の状況が極端に変わる。
明暗がはっきりと分かれている。
情も何もない自然の猛威に感情も思考も働かなくなる。
漁協に到着。
建物はしっかりと立っていたが、中身は何一つ無くなっている。
机や椅子キャビネットといった類のものもきれいさっぱりなくなっていて、
ある意味爽快でもあり不思議な感覚を覚える。
周りあった倉庫や建物は全て流され基礎のコンクリートだけが残っている。



次に向かったのは、漁船が係留されている海岸。
青い海に白い船が無数浮かんでいて、何も無かったように穏やかに揺れていた。
この船が漁に出て魚を積んで港に戻る日は何時になるのだろう。
想像も予想もつかずただ気が遠くなる。
PM14:00
相馬原釜漁協の渡邉氏、荒川氏に今後も継続的に支援をしていくので、
状況と必要なものを連絡してほしいとことを告げ、帰路についた。
相馬から離れるに連れ、確かにこの目で見てきたものが現実のものだったのかという不思議な感覚になった。
PM16:45会津到着。
<相馬原釜漁業協同組合職員聞き取り内容>
・今まで津波の警報が出ても、40~50cm程度であったためたかをくくっていた。
 とりあえず組合職員を避難させ、漁協の事務所には4名程残った。
 津波は予想をはるかに超える高さで襲ってきて、
 事務所に残った4名は、屋上に出て支柱などに必死で捕まり生き延びた。
・組合職員は全員無事だったが、その家族が多く犠牲になっている。
・ガソリンは充足してきたが、物資は足りておらず、避難者は1日2食の時もある。
・津波の影響が無かったスーパーがやっと再開し始めたが、
 商品が足りなかったり、全て失った人は購入するお金がなかったり、
 10万円の引き出しが可能であっても直ぐに尽きてしまうため、自由に購入できる状況ではない。
・津波警報が発令されると船を持った漁師は船を沖に移動させるため、
 次々に数十メートルもある津波に向かって船をだしていった。
 津波を乗り越えるとき船は船首が直角になり、中にはそのまま転覆する船もあった。
 無線で「あーもうだめだ。」という仲間の声が次々に聞こえてきた。
 助かった漁師は、その声が耳に焼き付いて離れないという。
 船は丸2日沖で過ごし寄港したが、
 双葉漁協の所属の漁船350隻は150隻、大型の底引網漁船29隻は113隻となってしまった。
・現在、無事で戻ってきた船が港に係留されているが、
 港の施設が壊れているので台風時に持ちこたえられるか、
 また被害が出るのではないか心配である。
・残った船で漁はできるが、水揚げする漁港、市場、漁協はなくなっている。
・今は南風が吹かないから放射能の影響はないが、
 南風が吹くようになると影響が出てくる可能性もある。
 また、影響がなくても風評被害が心配される。
・漁協の遠藤和則氏は、これからどんなことがあっても、ここを離れる気持ちはない。
 何年先になるか分からないがもう一度絶対再建させて、お世話になった方々に恩返しをしたい。
 と決意を語っていた。
・「万が一放射能で非難をせざる負えなくなったら、会津に来てください。」というと、
 目を潤ませてお礼を述べられていた。
・家を失い避難所で暮らしている方々は、徐々にアパート等を斡旋され移動している。
 今後仮設住宅等が建設され順次移動していくと思われるが、
 その際必要なものは、新生活を始めるときに必要な品々であるとのことであった。
・相馬市は被災地であり多くの犠牲者も出しているが、南相馬市の避難者を受け入れている。
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これがリアルな姿です。
津波に全てを襲われた町の、つらすぎる事実です。
まだまだ悲しみに暮れているはずの現状。
それなのに、、  「恩返しがしたい」
 
涙がこぼれます。
私達は、、まだまだやれる!
みな手をとりひとつになって。